2011年4月10日日曜日

永遠の人

Aさんが言いました。
「もし自分に原子力発電の知識があるのなら、今すぐ福島の現場に行って力を貸したい。本心からそう思う」
Aさんは60歳を過ぎている心根の優しい人です。技術屋さんではありません。
普段のAさんを見ている人は、その言葉が偽善でもかっこつけでもないことを知っています。

Aさんに1歳の子供がいたらどうだろう?
ぼくはそう考えてしまいました。
Aさんが30代で独身だったとしたら、きっと同じことを言ったと思います。
でも、幼い子供がいたら同じことを言えたでしょうか?
ぼくなら出来ません。
(ぼくの場合、独身だったとしても言えないと思います。)

Aさんなら、1歳の子供がいても「行く」と言ったかもしれません。
でも、現在の状況で「行く」決心をするよりもハードルは高いと思います。

自分は犠牲に出来るけど、子供は犠牲にしたくない。
子供の安全を確保することは、生物の本能です。それは自分の種族を永遠に残そうとする遺伝子がそうさせているのでしょう。

自分の命を犠牲にして他の動物を助ける人はめったにいません。
しかし、命をかけて原発の事故を防ぎたいと思う人は実際にいます。
それは世の中のためなのか、自分の種族を守るためなのか。
自分の子供を守りたいと思うのも、結局は自分のためなのか?

利己と利他のせめぎあいは、永遠に続くのかもしれません。