2011年4月3日日曜日

言葉の力

「春はあけぼの」
枕草子の冒頭を、誰でも一度は聞いたことがあると思います。

何年か前のことですが、初秋の夜明けを1時間ほど眺めていたことがあります。
真っ暗な夜空が紺色に変わり始め、地平線と並行に走る雲がうっすらと紫色に流れていました。
遠くに見えるビルは小さなシルエットをつくり、背後がオレンジ色に染まりだすと、たなびく雲の上にこがねの色が落ち、イワシの群れが光の海を泳いでいるように見えました。

それは富士山から見るご来光でもなく、名のある観光スポットから見た日の出でもない、普通の景色でした。ぼくが住んでんいるのは、マンションの1階なので、もちろんベランダから地平線が見えるはずもありません。でも、どこにでもある普通の朝に、ぼくは驚愕しました。毎朝、こんな現象が起こっていることを知らずに過ごしてきたことを、モッタイナイ、と感じました。

その時、「春はあけぼの」という有名な言葉を思い出しました。早起きして、ときどきは朝日を眺めてみよう。春のあけぼのは、どんなに素晴らしいのだろう、そう思いました。
残念ながら、春のあけぼのを眺めたことはありません。ぼくの生活は、規則正しいものではなく、春のあけぼのを求めて早起きした朝は、天気予報が外れてしまいました。
それでも、清少納言が残してくれた言葉は、何万何千の人に春のあけぼのを見せたに違いありません。その美しさに生きる勇気をもらった人もいることでしょう。

アルバムが流されても、電気がとまりデジタルカメラの映像を見ることが出来な時代が来たとしても、「春はあけぼの」がつながれば、日本人の心に希望は残るのだと思います。