電車の中でお年寄りに席を譲って「ありがとうございます」と言われるとちょっと照れるような気がします。
相手が御礼も言わず、当たり前のような顔をして座ったら、たぶんムッとするとことでしょう。
「毎度あり!」と威勢よく言われるのは、すし屋などで料金を払ったあとかもしれません。
この場合「毎度ありがとうございます」と言われても照れることはありませんし、「ありがとう」と言われたときに感じる嬉しさも少ないかもしれません。
料金を払う必要があるのは、物やサービスなどを提供されたときです。この場合、買った物と支払ったお金の価値が等しいと思っているので、「毎度あり」と言われても嬉しく感じないのでしょうか。
逆に、100円の物を50円で売ってもらったら、こちらから「ありがとう御座います」と言う必要があるように感じます。
「『ありがとう』と言ってもらえたら、それだけで嬉しい」という気持ちも自分の中にあるのですが、それは自分が与えた親切やサービスに「言葉の対価」を求めていたからなのか、と思うと結構がっかりです。
「人間の脳はなんらかの報酬がないと喜ばない」と本で読んだのかテレビで見たのか忘れてしまいましたが、珍しく電車の席を譲った今日、こんなことを考えてしまいました。
2011年11月21日月曜日
2011年8月29日月曜日
季節の贈り物
田舎の叔父さんから、梨が送られてきた。
毎年のことで、いつも、嬉しく美味しく頂いている。
ぼくの田舎は栃木県の北の方なので、農業や畜産業は原発事故の影響を大きく受けている。
「今年は原発のことがあるから送るのをやめようかとも思ったけど、毎年のことだし、こっちの人はみんな食べてるから」
となんだか申し訳なさそうに、叔父さんは電話口で話していた。
「実家に帰ったら、栃木のものしか食べてないんだから平気ですよ」
と答えると叔父さんは少し安心してくれたようだった。
震災の後、父母が少し元気をなくしているようなので、今年はいつもより少しだけ多く里帰りしている。
栃木に帰れば、栃木の農産物を食べ、栃木の牛乳を飲む。
父と母は、「それ以外に選択肢がない」と言った。
東京にいれば、西日本の物を買う選択肢がある。
韓国にいれば、日本産の物を買わない選択肢がある。
韓国の人が、「日本の野菜は、九州のものでも買わない」といったら、いやな気持ちになると思うし、ナンセンスだと考えるだろう。
でも、原発事故が韓国で起こったことで、日本の空や大地が昔のままだとしたら、「韓国産の野菜は一切、買わない」という人はたくさん出てくると思う。
結局、選択肢のない人だけがいつも苦しんでいる。
毎年のことで、いつも、嬉しく美味しく頂いている。
ぼくの田舎は栃木県の北の方なので、農業や畜産業は原発事故の影響を大きく受けている。
「今年は原発のことがあるから送るのをやめようかとも思ったけど、毎年のことだし、こっちの人はみんな食べてるから」
となんだか申し訳なさそうに、叔父さんは電話口で話していた。
「実家に帰ったら、栃木のものしか食べてないんだから平気ですよ」
と答えると叔父さんは少し安心してくれたようだった。
震災の後、父母が少し元気をなくしているようなので、今年はいつもより少しだけ多く里帰りしている。
栃木に帰れば、栃木の農産物を食べ、栃木の牛乳を飲む。
父と母は、「それ以外に選択肢がない」と言った。
東京にいれば、西日本の物を買う選択肢がある。
韓国にいれば、日本産の物を買わない選択肢がある。
韓国の人が、「日本の野菜は、九州のものでも買わない」といったら、いやな気持ちになると思うし、ナンセンスだと考えるだろう。
でも、原発事故が韓国で起こったことで、日本の空や大地が昔のままだとしたら、「韓国産の野菜は一切、買わない」という人はたくさん出てくると思う。
結局、選択肢のない人だけがいつも苦しんでいる。
2011年7月27日水曜日
ソフトボールはWカップで準優勝!
なでしこジャパンが女子サッカーのWカップで優勝し、「国民栄誉賞」が検討されています。
アメリカで開催されているソフトボールのWカップでは、残念ながら日本チームは決勝戦で負けてしまいました。
北京で金メダルを取ったときは、エースの上野が脚光を浴びていました。
なでしこジャパンと、上野ジャパン(監督は斎藤だったけど)と、サムライジャパン(原ジャパン?)に国民栄誉賞を!
あと、東洋の魔女にも。
あと、イナバウアーの人にも。
それから、田村でも谷でもママでもメダル取った人とか。
他にも、もらえそうな人が…。
アメリカで開催されているソフトボールのWカップでは、残念ながら日本チームは決勝戦で負けてしまいました。
北京で金メダルを取ったときは、エースの上野が脚光を浴びていました。
なでしこジャパンと、上野ジャパン(監督は斎藤だったけど)と、サムライジャパン(原ジャパン?)に国民栄誉賞を!
あと、東洋の魔女にも。
あと、イナバウアーの人にも。
それから、田村でも谷でもママでもメダル取った人とか。
他にも、もらえそうな人が…。
2011年7月20日水曜日
安全神話とリスクの想定
「原発の安全神話が崩壊した!」と言われている。
飛行機の安全神話、海の安全神話、空気の安全神話、
虹の安全神話、水道水の安全神話、蛇の安全神話、
歌の安全神話、新幹線の安全神話、男の安全神話、
ITの安全神話、ガラパゴスの安全神話、机の安全神話、
プラネタリウムの安全神話、夏の安全神話、日本の安全神話
羅列した言葉のうち「安全神話」と相性のいい言葉にリスクがあることは、たぶん想定内なのだと思う。
飛行機の安全神話、海の安全神話、空気の安全神話、
虹の安全神話、水道水の安全神話、蛇の安全神話、
歌の安全神話、新幹線の安全神話、男の安全神話、
ITの安全神話、ガラパゴスの安全神話、机の安全神話、
プラネタリウムの安全神話、夏の安全神話、日本の安全神話
羅列した言葉のうち「安全神話」と相性のいい言葉にリスクがあることは、たぶん想定内なのだと思う。
2011年5月21日土曜日
Estoy aqui
Estoy aqui
スペイン語で、「私は今ここにいます」という意味です。
メール時代の今はでは違うのかもしれませんが、昔スペインの人は旅先で絵葉書を買うと、
Estoy aqui とだけ書いて友達に送ったそうです。
久しぶりに連絡する友達に、近況を報告するでもなく、ただ一言。
元気?とか、どうしてる?とか、私は今○○してます。 とか そんなことを書こうとするとつい面倒くさなって結局、ハガキを送ることもなく旅が終わり、また日常に戻ってしまう。やがて久しぶりに連絡しようと思った友人のことも忘れてしまう。
そんなことがないように、Estoy aquiとだけ書いて送ってしまうのだそうです。
宮城県に住んでいる友人からハガキが来ました。
3月11日以降、連絡が取れていなかった友人です。
「震災で携帯を失い連絡できなかったけど、家族もみんな元気です」
と書いてありました。
ツイッターで無事を発信していたそうですが、ぼくはそれを見ていませんでした。
ハガキには、「このハガキはアナログっぽい人に送りました」とあります。
彼が無事であることは、共通の友人から聞いていました。
それでも、なんだか、とても嬉しくて「Estoy aqui」の話を久しぶりに思い出しました。
スペイン語で、「私は今ここにいます」という意味です。
メール時代の今はでは違うのかもしれませんが、昔スペインの人は旅先で絵葉書を買うと、
Estoy aqui とだけ書いて友達に送ったそうです。
久しぶりに連絡する友達に、近況を報告するでもなく、ただ一言。
元気?とか、どうしてる?とか、私は今○○してます。 とか そんなことを書こうとするとつい面倒くさなって結局、ハガキを送ることもなく旅が終わり、また日常に戻ってしまう。やがて久しぶりに連絡しようと思った友人のことも忘れてしまう。
そんなことがないように、Estoy aquiとだけ書いて送ってしまうのだそうです。
宮城県に住んでいる友人からハガキが来ました。
3月11日以降、連絡が取れていなかった友人です。
「震災で携帯を失い連絡できなかったけど、家族もみんな元気です」
と書いてありました。
ツイッターで無事を発信していたそうですが、ぼくはそれを見ていませんでした。
ハガキには、「このハガキはアナログっぽい人に送りました」とあります。
彼が無事であることは、共通の友人から聞いていました。
それでも、なんだか、とても嬉しくて「Estoy aqui」の話を久しぶりに思い出しました。
2011年5月4日水曜日
リスクと放置
原子力発電所の問題では、「想定外ではすまされない!」という意見をよく聞きます。
原発に限らず、想定すべきリスクを事故が起こるまで放置してしまうのはなぜでしょう?
・酔っ払いが駅のホームから落ちるリスク
・スピードを出しすぎると曲がりきれないカーブ
・長時間労働で過労死しそうな社員が沢山いる会社
地下鉄のホームが二重ドア化されたり、道路にガードレールが出来たり、会社が残業を規制したりするのは、事故が起こって社会問題化した後です。
結局のところ、対策に必要なコストよりも守るべき利益の大きさが明らかになったときにしか動かないのが人間社会なのでしょう。
人間の命を利益に置き換えることは出来ません。だから、死亡事故が起きるとすぐに対策が実施されます。しかしそれさえも、マスコミやネットワークにより「公然になった死」だけが対象なのかもしれません。ほとんどの人が知らない「小さな死」があっても、費用を出し惜しむことだってありそうです。
めったに車の通らない道路にガードレールを設置するにもコストはかかります。
そこまで必要ないでしょう、とみんなが思っていたところに事故が起こってしまった。
だから、ガードレールを設置した。
リスクの共感が未然に事故を防ぐ方法だと思います。
原発に限らず、想定すべきリスクを事故が起こるまで放置してしまうのはなぜでしょう?
・酔っ払いが駅のホームから落ちるリスク
・スピードを出しすぎると曲がりきれないカーブ
・長時間労働で過労死しそうな社員が沢山いる会社
地下鉄のホームが二重ドア化されたり、道路にガードレールが出来たり、会社が残業を規制したりするのは、事故が起こって社会問題化した後です。
結局のところ、対策に必要なコストよりも守るべき利益の大きさが明らかになったときにしか動かないのが人間社会なのでしょう。
人間の命を利益に置き換えることは出来ません。だから、死亡事故が起きるとすぐに対策が実施されます。しかしそれさえも、マスコミやネットワークにより「公然になった死」だけが対象なのかもしれません。ほとんどの人が知らない「小さな死」があっても、費用を出し惜しむことだってありそうです。
めったに車の通らない道路にガードレールを設置するにもコストはかかります。
そこまで必要ないでしょう、とみんなが思っていたところに事故が起こってしまった。
だから、ガードレールを設置した。
リスクの共感が未然に事故を防ぐ方法だと思います。
2011年4月25日月曜日
感じ方
気がついてみると、最近、原発のニュースを頻繁にはチェックしなくなりました。
慣れてしまったのです。
放射性物質の漏えいは止まっていないので、危険な状況であることは間違いありません。
マスコミが大騒ぎしていないので、危険のレベルが下がっているように感じてしまいます。
危険が小さくなったから報道も少なくなったのか、ニュースバリューが下がったから報道の扱いが小さくなったのかは分かりません。
思えば、新型インフルエンザやエイズのときもそうだったような気がします。最初のうちは過剰に反応し、慣れてしまうと気にならなくなる。
ある程度、対策が功を奏した結果だと思いますが、リスクがなくなったわけではありません。
今、新型インフルエンザやエイズで亡くなる人がいても、マスコミが大きく取り上げることはありません。
ニュースで取り上げても、現状を改善できる見通しがないから報道しないのでしょうか?「報道してもその情報が高く売れないから」という理由ではないと思いますが、情報にも旬の値段があることは確かです。
マスコミの姿勢に問題があるというよりも、受けての感受性を報道する側に見抜かれていたのだと思います。
慣れてしまったのです。
放射性物質の漏えいは止まっていないので、危険な状況であることは間違いありません。
マスコミが大騒ぎしていないので、危険のレベルが下がっているように感じてしまいます。
危険が小さくなったから報道も少なくなったのか、ニュースバリューが下がったから報道の扱いが小さくなったのかは分かりません。
思えば、新型インフルエンザやエイズのときもそうだったような気がします。最初のうちは過剰に反応し、慣れてしまうと気にならなくなる。
ある程度、対策が功を奏した結果だと思いますが、リスクがなくなったわけではありません。
今、新型インフルエンザやエイズで亡くなる人がいても、マスコミが大きく取り上げることはありません。
ニュースで取り上げても、現状を改善できる見通しがないから報道しないのでしょうか?「報道してもその情報が高く売れないから」という理由ではないと思いますが、情報にも旬の値段があることは確かです。
マスコミの姿勢に問題があるというよりも、受けての感受性を報道する側に見抜かれていたのだと思います。
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