2012年8月23日木曜日

自転車操業


「自転車操業」とは『〔自転車は走るのをやめると倒れることから〕資金の借り入れと返済を繰り返しながら、かろうじて倒産を免れ操業を継続している状態』のことだそうです。 でも、すべての企業は本質的に自転車操業だと思います。走るのをやめても倒れない会社ってあるでしょうか。 企業ではなく、農家だって自転車操業だと思います。 畑を耕し、種を蒔き、草をとって、虫を除ける。一つでもやめれば目標とした収穫にはなりません。 鉄板をプレスしたり、ハンドルをつけたり、エンジンを載せたり・・・。自動車の製造ラインでも、みんなが働くことをやめてしまえば、車は完成しません。交代で休むから生産が続くのであって、休み続ける人は雇用を継続してもらえません。 交代して休めるから自転車操業ではないと言えるのでしょうか。車が売れなくてもすぐに倒産することがないから、自転車操業ではないのでしょうか。 結局は誰だって自転車操業なのだと思います。 休まずに走り続けることは誰にもできないけれど、結局は長いレースを続けるしかないのです。

2012年6月28日木曜日

消費税増税法案と除名

民主党は、消費税増税の関連法案に反対した議員の処分を検討しているようです。除名するのか、党員資格停止するのか。 さて、「消費税を上げることが正しい」との前提で、考えてみたいと思います。 約3年前の選挙で民主党は「次の4年間、増税はしない」と言っていました。普通に考えれば、「増税はしないけど、増税のための法律は作るつもりだったのです」と言われても納得できません。 しかし、鳩山元総理が、「学べば学ぶにつけ、日米安保の重要性が分かった」と言ったのと同じように、「政権与党になって、消費税増税の必要性を認識した。だから、消費税を上げる決断をした」というのであれば、理解できます。 だとすれば、増税法案に反対するメンバーは過ちに気づかない頑迷な人たち、ということになるのでしょう。 党の決定に従えない人を処分することも理解できますが、この件で造反者を処分できるほど自信満々でいられる人の感覚もすごい。 結局、理屈じゃなくて、好き嫌いの問題なのでしょう。

2012年3月17日土曜日

インド版巨人の星

インド版「巨人の星」がNHKのニュースで紹介さていました。
野球ではなく、インドではクリケットが舞台です。
主人公の選手が「大リーグボール養成ギブス」をつけ特訓するシーンが流されていました。

そして、主人公が投げた魔球はなんと、ハイジャンプ魔球。

「それは、『侍ジャイアンツ 』じゃー!」
と思わずツッコンでしまいました。

著作権とか大丈夫なのか、と思って調べてみたら、侍ジャイアンツの原作者も梶原一騎だったということを初めて知りました。
作風のあまりの違いにビックリ!

2012年2月17日金曜日

木登りと山登り

8歳の長男が木登りに目覚めて、毎日のように公園の木に登っています。7~8mの木の一番てっぺんまで上ると結構な高さになり、見ているほうはハラハラしていしまいますが、本人は得意げです。
小学校の2年生の中でその木に登れるのは2、3人しかいないそうで、ふだんスポーツでほめられることのない長男にしては、ちょっとした自慢なのだと思います。

なぜ山に登るのかを聞かれて、マロリーが「そこに山があるから」と答えたという逸話は有名です。長男になぜ木登りをするのかを訊ねてみると、答えは「登りたいから」でした。でも本音は「自慢したいから」なのかもしれません。「お父さんに見てもらいたいから」「ほめてもらいたいから」かもしれません。世界初のエベレスト登頂を目指すのも、犬ぞりで北極を行くのも「誰かにほめてもらいたいから」という理由が心のどこかにあるような気がします。でも「自慢したいから」と答えてしまったのでは、身もふたもありません。
マロリーの逸話には諸説あるようですが、新聞記者かテレビのレポーターに聞かれて「そこに山があるから」って瞬時に答えられたら、やっぱりカッコいいですよね。

でも、そのカッコよさより、いくつになっても木登りする精神が大切なのだと思います。

2012年2月5日日曜日

息子と二人の週末

妻には妹と弟がいて、二人とも結婚しています。
妻の両親と4家族・計10人で旅行する計画があったのですが、次男が発熱してしまい我が家からは妻と長男の二人が出席。
次男は、「ぼくも絶対行く」とがんばっていましたが、説得して諦めさせました。
普段から妻にべったりの次男は「留守番するならお母さんと」と希望しましたが、妻が両親や兄弟と旅行できる機会はめったにないので、またまた次男の説得です。
欲しがっていたおもちゃで誘惑し、ようやく次男が納得。

旅行できなくなってしまったことはとても残念ですが、おかげで5歳の次男と密度の濃い時間を過ごすことができました。
シリトリをしたり、なぞなぞの問題を出し合ったり、幼稚園での様子を聞いたりと、ぼくにとっては新鮮で楽しい時間になりました。
「仕方なく」かもしれませんが、甘えてぼくのヒザに乗ってきたりすると「この瞬間、コイツが頼りにできるのは俺だけなんだな」と感じて、嬉しくなったり、親の責任を感じたりしました。
子供が親に全面的に依存する時期なんて、ほんの少しの期間だと思いますが、「一人の人間に全面的に頼りにされること」で得られる幸福の大きさを実感しました。

子供に限らず、誰かに頼りにされたり、頼りにできる誰かがいるということがとても大切なのだと思います。
先週、ある人から「人は支えあって生きていくことがとても重要なのです」という話を聞いたばかりだったので、余計にそう感じたのかもしれません。

今、次男はスヤスヤと眠っています。

2011年11月21日月曜日

「ありがとう」と「毎度あり」

電車の中でお年寄りに席を譲って「ありがとうございます」と言われるとちょっと照れるような気がします。
相手が御礼も言わず、当たり前のような顔をして座ったら、たぶんムッとするとことでしょう。

「毎度あり!」と威勢よく言われるのは、すし屋などで料金を払ったあとかもしれません。
この場合「毎度ありがとうございます」と言われても照れることはありませんし、「ありがとう」と言われたときに感じる嬉しさも少ないかもしれません。

料金を払う必要があるのは、物やサービスなどを提供されたときです。この場合、買った物と支払ったお金の価値が等しいと思っているので、「毎度あり」と言われても嬉しく感じないのでしょうか。

逆に、100円の物を50円で売ってもらったら、こちらから「ありがとう御座います」と言う必要があるように感じます。

「『ありがとう』と言ってもらえたら、それだけで嬉しい」という気持ちも自分の中にあるのですが、それは自分が与えた親切やサービスに「言葉の対価」を求めていたからなのか、と思うと結構がっかりです。

「人間の脳はなんらかの報酬がないと喜ばない」と本で読んだのかテレビで見たのか忘れてしまいましたが、珍しく電車の席を譲った今日、こんなことを考えてしまいました。

2011年8月29日月曜日

季節の贈り物

田舎の叔父さんから、梨が送られてきた。
毎年のことで、いつも、嬉しく美味しく頂いている。

ぼくの田舎は栃木県の北の方なので、農業や畜産業は原発事故の影響を大きく受けている。
「今年は原発のことがあるから送るのをやめようかとも思ったけど、毎年のことだし、こっちの人はみんな食べてるから」
となんだか申し訳なさそうに、叔父さんは電話口で話していた。
「実家に帰ったら、栃木のものしか食べてないんだから平気ですよ」
と答えると叔父さんは少し安心してくれたようだった。

震災の後、父母が少し元気をなくしているようなので、今年はいつもより少しだけ多く里帰りしている。
栃木に帰れば、栃木の農産物を食べ、栃木の牛乳を飲む。
父と母は、「それ以外に選択肢がない」と言った。

東京にいれば、西日本の物を買う選択肢がある。
韓国にいれば、日本産の物を買わない選択肢がある。

韓国の人が、「日本の野菜は、九州のものでも買わない」といったら、いやな気持ちになると思うし、ナンセンスだと考えるだろう。
でも、原発事故が韓国で起こったことで、日本の空や大地が昔のままだとしたら、「韓国産の野菜は一切、買わない」という人はたくさん出てくると思う。

結局、選択肢のない人だけがいつも苦しんでいる。