2011年5月21日土曜日

Estoy aqui

Estoy aqui
スペイン語で、「私は今ここにいます」という意味です。

メール時代の今はでは違うのかもしれませんが、昔スペインの人は旅先で絵葉書を買うと、
Estoy aqui とだけ書いて友達に送ったそうです。
久しぶりに連絡する友達に、近況を報告するでもなく、ただ一言。
元気?とか、どうしてる?とか、私は今○○してます。 とか そんなことを書こうとするとつい面倒くさなって結局、ハガキを送ることもなく旅が終わり、また日常に戻ってしまう。やがて久しぶりに連絡しようと思った友人のことも忘れてしまう。
そんなことがないように、Estoy aquiとだけ書いて送ってしまうのだそうです。

宮城県に住んでいる友人からハガキが来ました。
3月11日以降、連絡が取れていなかった友人です。
「震災で携帯を失い連絡できなかったけど、家族もみんな元気です」
と書いてありました。
ツイッターで無事を発信していたそうですが、ぼくはそれを見ていませんでした。
ハガキには、「このハガキはアナログっぽい人に送りました」とあります。

彼が無事であることは、共通の友人から聞いていました。
それでも、なんだか、とても嬉しくて「Estoy aqui」の話を久しぶりに思い出しました。

2011年5月4日水曜日

リスクと放置

原子力発電所の問題では、「想定外ではすまされない!」という意見をよく聞きます。
原発に限らず、想定すべきリスクを事故が起こるまで放置してしまうのはなぜでしょう?
・酔っ払いが駅のホームから落ちるリスク
・スピードを出しすぎると曲がりきれないカーブ
・長時間労働で過労死しそうな社員が沢山いる会社
地下鉄のホームが二重ドア化されたり、道路にガードレールが出来たり、会社が残業を規制したりするのは、事故が起こって社会問題化した後です。

結局のところ、対策に必要なコストよりも守るべき利益の大きさが明らかになったときにしか動かないのが人間社会なのでしょう。
人間の命を利益に置き換えることは出来ません。だから、死亡事故が起きるとすぐに対策が実施されます。しかしそれさえも、マスコミやネットワークにより「公然になった死」だけが対象なのかもしれません。ほとんどの人が知らない「小さな死」があっても、費用を出し惜しむことだってありそうです。

めったに車の通らない道路にガードレールを設置するにもコストはかかります。
そこまで必要ないでしょう、とみんなが思っていたところに事故が起こってしまった。
だから、ガードレールを設置した。

リスクの共感が未然に事故を防ぐ方法だと思います。