毎日計画停電がある世の中と、100年に一度くらいこんな事故が起こる社会。
落ち着いたら、どちらかを選らばなければならないのかもしれません。
もちろん「100年に1度」に根拠はありませんが、自然災害に限らず戦争やテロで原発が攻撃されるリスクもあります。
今なら「原発のない社会がいい」と言い、10年後なら「停電のない社会いい」という気がします。
命が虚しく消えてしまうことのない世の中、それさえあれば豊かでなくても幸せなのだと思います。
2011年3月12日土曜日
日常と非日常
2011年3月11日 23:30分の新橋は、日常と非日常が交錯する不思議な街でした。
居酒屋で酒を飲む人もいれば、カラオケボックスで歌う人もいました。
カラオケ店の入り口に「1~6名様でのご利用は出来ません」という張り紙がありました。どんなに狭い部屋にも7名以上入れるつもりのようです。
「3名ですけどダメですか?」と聞いてみると、
「たった今満室になりました。部屋が空いても、7名以上でのご利用をお願いしています。延長もあるので、空かない可能性もあります」
とのことでした。
「皆さん、避難所として利用しているのですか?」と聞けば
「ガンガン、歌っている人もいます」
との答え。
カラオケボックスなら歌って当たり前ですが、帰宅できない人たちにロビーを開放しているホテルを見てきた後だったので、日常と非日常が隣り合わせにある不思議を感じてしまいました。
駅の改札口付近や階段の手前にブルーシートが敷かれ、疲れた表情で座り込み電車の復旧を待つ人々。
通常通りに営業する居酒屋で、いっき飲みする若者。
路上の大型スクリーンでは、東北地方の大惨事が流れているというのに。
でも、そのニュースを見て、ただ街を歩いていた自分と違いがあるのだろうか。
居酒屋で酒を飲む人もいれば、カラオケボックスで歌う人もいました。
カラオケ店の入り口に「1~6名様でのご利用は出来ません」という張り紙がありました。どんなに狭い部屋にも7名以上入れるつもりのようです。
「3名ですけどダメですか?」と聞いてみると、
「たった今満室になりました。部屋が空いても、7名以上でのご利用をお願いしています。延長もあるので、空かない可能性もあります」
とのことでした。
「皆さん、避難所として利用しているのですか?」と聞けば
「ガンガン、歌っている人もいます」
との答え。
カラオケボックスなら歌って当たり前ですが、帰宅できない人たちにロビーを開放しているホテルを見てきた後だったので、日常と非日常が隣り合わせにある不思議を感じてしまいました。
駅の改札口付近や階段の手前にブルーシートが敷かれ、疲れた表情で座り込み電車の復旧を待つ人々。
通常通りに営業する居酒屋で、いっき飲みする若者。
路上の大型スクリーンでは、東北地方の大惨事が流れているというのに。
でも、そのニュースを見て、ただ街を歩いていた自分と違いがあるのだろうか。
登録:
投稿 (Atom)